もしも心を覗けたら
僕たちは他人の心の中を覗くことはできない。
だから誰かについて知りたいと思ったら、相手をそれとなく観察したり、相手の話に耳を傾けたりするしかない。
そうやって相手のことを知り、適切な気配りをすることは、人間関係を円滑に回すためには大切なことなのかもしれない。
でもそれは簡単なことじゃない。
若い頃、僕は、学校や仕事先でも、恋愛に関することでも、相手が何を望んでいるのか、心の中を覗くことができたらどんなに楽だろうと思っていた。
何が正解なのかをずっと探すことは、とてもしんどかった。
自分がそういった気配りが下手くそなことに悩んだこともあった。
でも、いつからか、僕は正解探しを止めた。
正確に言えば、失敗しないことを優先するのを止めた。
失敗から学んでいけばいいと考えるようにした。
もちろん一度の失敗でぷっつりと切れてしまう人間関係もある。
けれども、それもまた自分の持っている縁なのだと思えるようになった。
正解探しを止めたら、不思議なことに人の話を聞くことが面白くなった。
そして誰かのことを知れば知るほど、その人のために何かしてあげたいという、やわらかな気持ちが湧いてくることも知った。
このやり方は、僕に合っていると思った。
だから今はもう、誰かの心の中を覗きたいとは思わない。
でも、もし一度だけ人の心を覗くことができるのなら、僕が死ぬ間際に、ハナに「結婚生活はどうだった?」と尋ねてから、ハナの心を覗いてみようかな。
「あんたなんかと結婚するんじゃなかった」なんて声が聞こえたら、絶望のあまり息の根が止まっちゃうかもしれないけど。